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稚内と航路の歴史(3)

 稚内は日本海とオホーツク海、そして宗谷海峡という海に囲まれた街です。
 古くは三角航路と呼ばれ、ニシン漁の出稼ぎ漁業労働者を運び、近年は離島観光の役目を担い、毎年大勢の観光客を運ぶ利礼航路。
 また、日本の戦前戦後の歴史にも密接に関係する樺太航路など、今回は稚内と航路の歴史に焦点を当てていきたいと思います。

 シリーズ3回目と4回目は2週に渡って、長年、稚内と利尻・礼文を結ぶ利礼航路維持に尽力した、旧会社名:東日本海フェリーの創立社長:蔦井与三吉(つたいよそきち)さんの半生を追ってみたいと思います。
 蔦井与三吉さんは昭和43年に稚内市市政功労賞を受賞、昭和46年には、元稚内市長の浜森辰夫さんと同じ、勲三等に叙せられ瑞宝章を授与された方で、稚内の航路の歴史だけじゃなく、産業的な歴史を見ても、非常に重要な人物です。

 今回は「蔦井与三吉の半生~その生い立ちから稚内に至るまで~」のお話を、お孫さんにあたる、現ハートランドフェリー(株)の代表取締役社長、蔦井孝典さんにお話を伺いました。


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ハートランドフェリー(株)代表取締役社長:蔦井孝典さん

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蔦井与三吉像

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